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天王唄の由来 天王唄の歌詞 お囃子 お囃子募集 笛太鼓

○大町のお囃子のお話し

大町のお囃子の歴史は、実はあまり定かではありません。ただ、師匠の話しによれば、師匠の師匠も、またそのさらに師匠も存在することが伺え、最低でも100年は遡って辿ることができます。おそらく江戸時代にはすでにこの地に存在し、現在まで途切れる事なく継続されて来ているものと推測されます。今回は、私が実際にお囃子に携わってからのお話をいたします。

今からおよそ30年前の、昭和50年。私の母、山本芳子が、当時の師匠で後の会長である石井正男氏に、子供の囃子連を作るよう依頼したのがきっかけでした。偶然にも石井氏が、私の父の職場の同僚であったこともあり、すぐに快諾をいただけたそうです。

母は、近所の子供のいる家庭一軒一軒に声をかけ、約30名の子供たちが集まりました。もちろん私もひとつ年上の姉と一緒に、その中の一員として居りました。

私はお囃子がすごく面白くて、数年で太鼓と笛すべてを覚えてしまいました。その頃には一期生のメンバ−も10名程度に減ってしまいました。そこで、昭和58年、今度は私の呼びかけで、第ニ期生を募集いたしました。なにぶんにも若年のため、指導には苦労も伴いましたが、同じ一期生の同僚たちに支えていただき、何とか指導していくことができました。

その後、一期生が次々と就職し社会に出て行くにつれ、教える手が不足してゆくようになり「後継者の育成もこれまでか」と危ぶまれたこともありました。しかし今度は、第二期生が頑張って応援してくれたおかげで、さらに8年後の平成3年、第三期生を募集することができました。

 こうして、メンバ−皆、忙しいながらも協力しあい、募集と指導を繰り返しながら、現在では3年に一度の割合で募集を継続しています。

 

○活動について

お囃子は、年に一度、ただ集まればできるものではありません。数えきれないほど長い日数をかけて練習していきます。活動も大町例大祭の4日間の他、春の鎌倉祭りから秋の郷土芸能大会まで、およそ半年間にわたります。それ以外の行事や練習も含めると、ほぼ一年中活動していることになります。

 また数年ほど前から、特別養護老人ホ−ムヘボランティアで慰問を行っています。当初は不安もありましたが、子供達にとっていい経験になると考え、お受けすることにしました。これからの会を支えていく子供たちには、立派な大人になるための経験をたくさんして欲しい。その一つの機会として考えたのです。

 とは言っても、重度の要介護のお年寄りばかりとたくさん接する訳ですから、はじめはショックをうけてしまう子供もいるのではないだろうかと心配しました。が、いざ始まってみれば、いつもの調子で明るく叩いてくれました。そればかりか、休憩時間などには「おじいさんにヨ−ヨ−を手渡してあげたよ」とか、「おばあさんをうちわで扇いであげた」などと報告をして来てくれ、改めて「良かった」と思わせてくれました。

 

○組織について

18年ほど前になりますが、会の正式名称を決めるにあたり、旧き良き「祇園」の名を受け継ぐことに決め、「鎌倉囃子大町祇園会」とさせていただきました。同時に会則を整備し、会員制で非営利の、現在のNPO組織としての基礎を作りました。

私は3年前に、石井前会長から会長職を譲られ、30代前半という若さで会を任されることになりました。微力というより無力でありましたが、信頼できる一期生の皆さんや後輩達からの支持を唯一の力とし、現在3期目を務めさせていただいております。

 

○最後に

私は太鼓と笛で、現在までに延べ100人以上の子供たちを指導してきましたが、教え終わるまで残っていてくれる子はほんの僅かです。しかし、お囃子を続けることは素晴らしい事です。とくに大町のお囃子のように、上から下まで実に広い年代のメンバ−に囲まれた環境は、子供たちの成長の場としても理想的なのではないでしょうか?大町の皆様、これからのお囃子の活動を、どうぞ温かい目で見守って下さるよう、お願いいたします。
 

鎌倉囃子大町祇園会会長  山本真也 

 

鎌倉囃の一座

 

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